
当センター初代所長の畑井新喜司先生は、浅虫のほかにフィリピンの東に浮かぶパラオに研究施設を設置することに尽力されました。畑井先生が所長を務められたパラオ熱帯生物研究所(日本学術振興会)は、第二次世界大戦の最中に閉所されてしまいましたが、日本の研究者によって様々な研究成果が挙げられました。
本ページでは、当センターの弟分ともいえるパラオ熱帯生物研究所の今の姿を写真を交えて紹介するものです。
ベラウ国立博物館に展示されている研究所の模型(特別に撮影許可をいただきました)
実験所入口。表札はもうありませんが立派です。
残るは建物の土台ばかり。

高い位置にある建物の入口の支柱にはハンモック。
床を支える支柱群。
かつての水槽室に供給するための海水タンク(その1)の土台。
桟橋。
むこうの森まで研究所の敷地だったとか。今はタロイモ畑。
現在の実験所の写真はすべて地元の方の撮影許可をいただきました。