光合成の生理生態学講座

植物生理生態学が目指すもの

 

はじめに・・・の前に (200304 08)

はじめに (200304 08)

植物生理生態学が生まれてきた過程 (200304 13)

植物生理生態学の視点 (200304 18・200304 24)

植物生理生態学の貢献 (200305 02)

植物生理生態学のこれから (200305 15)


はじめに・・・の前に

 

 研究者にとって、その分野を研究することの面白さや意義を認識することはたいへん重要なことです。私は「専門はなんですか?」と聞かれると、「植物生理生態学」と答えます(さらにいうと、この連載は「光合成の生理生態学」というタイトルです)。研究を始めて以来、「生理生態学って何?」ということを何度も考えさせられてきました。生理生態学はぱっと見で面白い研究では必ずしもなく、また、直接的に人の役に立つ、という分野ではありません。しかし我々はこの生理生態学が面白くかつ意義があるものとして研究を続けています。どういう面白さ・意義があるのかをまとめなければいけない、と数年前から漠然と考えていました。幸い先日考えをまとめる機会に恵まれました。種生物学会が編集するシリーズの一つとして「光と水と植物のかたち」(村岡裕由・可知直樹責任編集・文一総合出版)が2003年4月に出版されます(予定)。その序章として「植物生理生態学が目指すもの」という文章を村岡さんと共著で書かせていただきました(村岡・彦坂 2003)。ここでは「植物生理生態学が目指すもの」をこのページ向けに書き直したものを掲載します。掲載を許可して下さった共著者の岐阜大学の村岡裕由さん、文一総合出版の菊地千尋さんに感謝いたします。


はじめに

 

 二種類のゾウリムシを一つの試験管の中で育てるとしましょう。ゾウリムシは餌を食べることによって成長します。必要とする餌が二種類の間で違う場合、両方のゾウリムシは共存することができます。しかし、必要とする餌が両種で共通である場合、獲得能力が高い方が競争に勝ち、他方は排除され、共存はできません。これを競争排除則といい、生態学における基本ルールの一つと考えられています。

 この「競争排除則」を念頭におくと、植物群集は不思議な存在です。多少の例外はあるものの、ほとんどの植物が必要とする資源(例えば光と水など。ゾウリムシでいう餌)は共通です。しかし、多くの場合植物群集は多数の種から構成されます。なぜお互いを排除せず、共存が可能になっているのでしょうか? さらに、場所が変われば、植物群集の構成種は違ったものになります。多くの植物種は、その植物に固有な生育環境を持っており(ニッチ/生態的地位)、ニッチの外ではその植物種が生育していることを見ることはめったにありません。ある場所で生きていけたはずの植物が別の場所では生きていけず、別の植物に置き換わってしまうわけです。繰り返しますが、「ほとんどの植物が必要とする資源は共通であるにもかかわらず」です。

 「なぜこの植物はここで生きていられるのか」、あるいは「なぜあの植物はここで生育できないのか」という疑問は、植物生態学が明らかにしようとする課題の最も基本的なものです。植物生態学者はこれまで様々なアプローチによってこの疑問の解明を目指してきました。ある研究者は植物が生育する環境が重要であると考え、別の研究者は植物自身の生活史(例えばいつどのような花を咲かせるか、どのように種子を散布するか)が重要と考え、近年では他の生物(植食者や訪花者)との関係を重要と考える研究者もいます。そしてその結果わかってきたことは、「なぜこの植物がここで生きられ、別の場所で生きられないか」という疑問に対して、(例えば競争排除則のような)簡単な答はない、ということです。それぞれのケースに多様な原因があり、一つの法則を全てにあてはめることはできないようです。

 だからといって植物生態学者がこの疑問の解明をあきらめたわけではありません。多くの植物生態学者がこれまで行い、そして現在も行っているのは、ある特定の植物とその性質、さらにそれをとりまく環境に着目し、その植物が「どのように生きているのか」を明らかにすることです。身近な個々のケースを徐々に明らかにしていくことで、非常に複雑な生態系のしくみの解明を一歩づつ目指しています。これまでに多くのことが明らかにされてきた一方、多くの疑問が今もなお存在しています。

 植物生理生態学は植物生態学の中の一分野です。繁殖生態学者が花や果実の性質に着目するように、個体群生態学者が個体数の変動に着目するように、生理生態学者は植物と環境の間をつなぐ生理学的機能に着目します。この文章では、植物生態学の一分野としての植物生理生態学がどのような着眼点をもっているのか、どのような意義があるのかについて私見を述べたいと思います。


植物生理生態学が生まれてきた過程

 

 一般的な傾向として、生態学と生理学は、扱っている現象のスケールの違いで区別されることが多いようです。前者は個体レベル以上の、後者は個体レベル以下の現象を扱うことが多いからです。しかし学問としての両者の違いは、「スケール」よりも「方向性」、つまり明らかにしようと目指すものに大きな違いがあります。生態学とは生物の「生き様」を解き明かそうとする学問であり、生理学とは生物が生きる「しくみ(メカニズム)」を解き明かそうとする学問です。生理生態学は両者の中間を扱っている学問、と見られがちで、実際スケールの点から言うとそうなるでしょう。しかし生態学の一分野としての生理生態学は、「生態学的現象の解明に生理学的手法を用いる分野」とみなすべきです。解き明かしたいものは「生態学」であり、「生理学」は手段にすぎません。逆の見方をすると、生理学的知見を導入しないと解明できない生態学的現象が数多くあり、そこに生理生態学の存在意義があるわけです。

 植物生態学は、植物群集構造(植生)の記載から始まりました。最初に述べたように、場所が変わればそこに生育する植物種は大きく変わります。例えば、森林をとってみても、低緯度では常緑広葉樹が、中緯度では落葉広葉樹が、高緯度では常緑針葉樹が優占します。こういった記載を続けていくことによって明らかになったことは、植物の分布に環境条件が大きな影響をもつことでした。地球レベルでは、植生帯は気温と降水量によって決まります。より細かいスケールでも、例えば林床と裸地における光環境の違いのように、環境条件が大きな影響を持つことが明らかになってきました。

 環境によって植生が決まっていることが明らかになれば、次に出てくるのは、「環境と植物の関係がどのようなしくみによって決まっているのか」という疑問です。ここで初めて生態学において生理機能が着目されることになるわけです。植物は生存・成長・繁殖するために様々な資源−例えば光や水−を必要とします。これらの獲得を担うのはまさに生理学的機能です。また、生体内では維持や成長のために様々な生理学的反応が起こっています。これらの機能の多くが環境の影響を受け、その影響の大きさは機能によって異なります。さらに、同一の機能であっても、種によってその性質に違いがあるかもしれません。例えば、低温に分布できる種とできない種を比較し、ある生理機能の低温耐性に違いがあれば、それが分布の違いの原因になっていることが期待できます。植物が持つ生理機能は多種多様です。我々は見ただけではどのような植物がどのような生育地に適しているのかを判断できません。ある植物がある環境で生存することができない場合、その原因がどの生理学的機能のどのような不具合によるのかを特定できれば、我々はその環境と植物の関係を一段深く理解できたことになります。

 植物生態学において生理生態学がいかに重要であるかは、動物についての研究と対比してみるとよくわかります。動物生態学にも生理生態学的研究はあります。しかし植物に比べればその数は多くありません。例えば、日本生態学会の全国大会の一般講演では「植物生理生態」というセッションはありますが「動物生理生態」はありません。これは動物と植物の資源獲得の方法に大きな違いがあるからです。動物も植物も生存・成長・繁殖に資源を必要とします。動物は多くの場合移動によって資源を探索し、獲得します。生育場所が生存に不適な環境になれば移動によって避けることもできます。しかし植物は、いったんその場所で発芽してしまえば、それ以降移動することはできません。与えられた環境の中で資源を獲得していくためには、生理学的機能をその環境に順応させなくてはいけません。したがって動物の「生き様」の理解にはその行動に着目することが必要だし、植物の場合にはその生理学的機能の理解が不可欠なのです。


植物生理生態学の視点

 

 まずは「植物が生きていくこと」を生理学的機能の面から考えてみましょう。植物は生存・成長・繁殖するために様々な資源を必要とします。1)植物体の構造やエネルギーの源となる炭素は、大気CO2から葉で行われる光合成で同化されます。2)光合成には光エネルギーが必要です。3)炭素以外にも窒素やリン、その他約20種類の元素も必要です。これらの元素は無機栄養塩として根から吸収されます。4)また、水も重要な資源です。水は光合成における有機物合成にも必要ですし、植物体の(乾燥重量ではなく)生重量の半分以上を占めるという意味でも重要です。それ以上に重要なのが、葉からの蒸散による損失の補填です。植物は蒸散したくてしているわけではありません。光合成でCO2を大気からとりこむためには気孔を開く必要があり、その際に水蒸気が「しかたなく」出ていきます。獲得された資源は維管束を通って他器官に運ばれ、そこで生命活動の維持や、新たな組織を作るために利用されます。

 これら資源の獲得や利用に種による違いがあるとすれば、それによって種の分布の違いを説明できるかもしれません。これらの生理機能のあるものをとりあげ、その環境応答や種間差を調べていくことは、生理生態学の一つのやり方と言えるでしょう。しかし、植物体内で行われている生理機能はたいへんな数になります。いきなり「A種とB種は分布が違う。どこか生理機能が違うはずだから、調べてみなさい」といわれてもどの生理機能を調べればいいのか困るでしょう。そこで、「植物が生きていくこと」をもっと単純な概念で表し、調べやすい指標を用意する必要があります。以下では生理生態学における重要な手法・概念をいくつか紹介します。

・成長解析

 成長速度とは、ある時間あたりにどれだけ植物体(バイオマス)を大きくすることができたかを表します。成長速度の高低は、その植物の生存・繁殖に大きな影響を与えます。大きいサイズの個体ほど死亡率が低く、多くの子孫を残すことができます。このため、成長速度は植物の適応の指標使うことができます。成長解析とは、広義には文字通り成長を解析することを意味しますが、狭義には20世紀初頭にBlackmanによって提唱された解析手法を指します。この解析手法の本質は、「光合成器官」を鍵にして「成長速度」を分解することにあります。バイオマスは光合成による炭素同化によって増えます。「光合成器官」に着目すると、植物が成長速度を高めるために二種類の方法があることが考えられます。一つは、光合成器官である葉を増やすことです。といっても植物が持つバイオマスの量は限られているので、葉にどれだけバイオマスを分配するか(葉への分配が多くなれば、当然他器官への分配は少なくなる)、という問題になります。もう一つの方法は、葉の光合成速度を高めることである。例えば二種類の植物がいて、成長速度が違う場合、それがどのような原因によるのかを簡単に調べる場合に使われます。成長解析について詳細はこちらをご覧下さい。

・資源の獲得と利用

 植物の成長には様々な資源が必要です。ある資源が不足すると、他の資源がいくら豊富にあったとしても、成長速度はその資源の供給速度に制限(律速)されます(リービッヒの最小律)。野外の植物のほとんどは、多かれ少なかれ何らかの資源にその成長速度を制限されています。逆に、その資源の制限を何らかの方法で克服できる植物が、そのような環境で成功することが期待できます。生理生態学者は、植物と資源の関係を、「資源獲得」と「資源利用」の二つに分けて解析します。「資源獲得」とは、供給されている資源をどれだけ効率よく獲得(吸収)できたかを表します。例えば弱光環境に生育する植物は、葉を効率よく展開してできるだけ多くの光を吸収しようとします。「資源利用」とは、吸収した資源をいかに効率よく成長に転換するかを表します。例として窒素を挙げてみましょう。窒素は根から吸収され、その多くは葉に分配されます。葉の光合成速度を高くするためには光合成系タンパク質の材料である窒素が必要です。葉が枯れるときに、葉に投資された窒素の一部は回収され、新しい器官に転流され、再利用されます。残った窒素は枯葉とともに失われます。窒素の利用効率を高めるためには、1)光合成の効率を上げる(1gの投資窒素あたりの光合成速度を高める)という方法と、2)窒素の保持期間を長くする(回収効率を上げることなどにより、一度吸収した窒素が失われないようにする)、という方法が考えられます。資源利用効率についてはこちらもご覧下さい。

・コスト−ベネフィット(利益)

 生物のふるまいには必ず生理学的な制約が伴います。たくさん子孫を残したければ高い光合成速度を持つ葉を多く作ればよいのですが、高い光合成速度を持つためには、上記のように葉に多くの窒素を投資する必要があります。また、多くの葉を支えるためには支持器官(茎)への投資が必要です。何か利益を得るためには、何らかのコストが必要であり、植物の真の成功を考えるためには、利益だけでなくコストも考慮に入れなくてはいけません。利益とコストの差(つまり純益)、もしくはコストあたりの利益を最大にできる個体がその環境で成功することができると考えることができます。獲得した資源をコストと考えれば、上記の資源利用と同様の概念になります。

・トレードオフ

 トレードオフ(trade-off)とは、直訳すると取引、交換といった意味ですが、生態学で使われる場合は、「ある制約のもとでAという性質を改善した場合、それがBという別の性質において不利を引き起こしてしまう関係」のことをいいます。古くから知られているのは地上部と地下部へのバイオマスの投資です。地上部に多くのバイオマスを分配すると、光合成量が多くなりますが、必然的に地下部への投資が少なくなるため、栄養塩や水の吸収量が少なくなってしまいます。両機能のバランスをとる最適な地上部/地下部比があることが数理モデルによって示されています。また、最適な地上部/地下部比は環境条件によって異なります。貧栄養条件では栄養塩の吸収量を多くするために、地下部への投資を増やさなければいけません。なお、コストとベネフィットの関係もトレードオフの一種と見ることができます。

 トレードオフという考え方は、「なぜ植物は多様なのか」という問いに答えるための重要なキーワードの一つだと思われます。一つの環境に適した性質を持つことは、別の環境に適した性質を持つことをできなくしてしまうのかもしれません。その結果、異なる特性を持った種が分化(進化)し、共存できるのではないかと考えられます。

・順化

 個々の植物の環境は一定ではありません。場所によっても違いますし、時間的にも変化します。このような生育環境の変化に応答して、個体の性質が変化することを順化といいます。順化という語は、本来は、悪環境に移されることによって鈍った活動を改善するような変化という意味で使われます。しかし現在では、もう少しあいまいに、その環境に適応するために有利な変化、と捉えられています。例えば、低温に順化させた植物では、細胞の耐凍性が向上したり、低温における光合成速度が高くなり、低温での生存率や成長が大きく向上します。植物は基本的に移動できないため、環境変化を避けることができません。このため順化が生存や繁殖に持つ意義は、移動によって環境変化を避けられる動物のそれよりもはるかに大きいと考えられます。

 生理生態学研究では、順化における生理学・形態学的変化の様子の記載も重要ですが、順化の生態学的意義、つまり順化によってどのようなメリットを獲得したのかも重要な研究対象です。その際には、「なぜ順化する以前の環境ではその性質を持っていなかったのか」も重要な視点です。また、「植物は環境変化に対して順化できる」といっても、その順化による変化の幅には限りがあると考えられます。どの植物がどのようにどれだけうまく順化できるか、ということは遺伝子情報の制約や、機能的なトレードオフ(ある環境に順化できるようにすると、別の環境に順化することが難しくなる)などによって決まっていると考えられます。順化の幅が環境と植物の分布の関係を決める鍵の一つであることは間違いありません。

・スケーリング

 我々は研究をするときに、例えば葉なら葉、個体なら個体と一つの見方だけで現象を解析しようとしがちです。しかし個体の光合成は葉の光合成の総和であり、葉の光合成が葉緑体の光合成の総和です。メカニズムの探求にはよりミクロのスケールの視点がかかせません。逆に、葉の光合成特性が個体の光合成を最大化するように調節されている例(詳しくはこちら)は、マクロスケールの視点がミクロスケールの現象の理解に必要であることを示しています。様々なスケールの視点から一つの現象を解析しようとすることをスケーリング(scaling)といいます。このような視点は1980年代から主に光合成研究で提唱されるようになりました。現在では地球環境レベルの物質循環の解析において重要な視点となっています。


植物生理生態学の貢献

 

 植物生理生態学は多くのことを明らかにしてきました。植物生理生態学の本来の目的は生態学的現象の解明ですので、その中心的貢献は生態学的現象の理解にあります。実際、「なぜこの植物はこのような分布をするのか」「なぜこの場所ではこの植物が優占できるのか」といった多くの疑問に植物生理生態学は答えを示してきました。具体的に明らかにしてきたことの一部はこの「光合成の生理生態学講座」にも記してきました。この項では植物生態学以外の分野にどのような貢献があったのかを簡単に紹介したいと思います。

・農業生産

 農学にも作物の生理生態を研究する分野はあります。農学と植物生理生態学は目指すものが大きく異なるはずですが(前者は農業生産の向上、後者は自然生態系の理解)、生理学的機能に着目すると農作物も野生植物もそれほど違いはありません。植物生理生態学で解明された成果はそのまま農作物の収量が決まるメカニズムの理解に貢献しますし、逆もまた真ですので、両者の関係は不可分であると言えます。例えば、ある過酷な環境で生育できる作物を育種しようとするときに、生理生態学は、その環境で生き抜くためにどのような性質を改善させればよいのか、という情報を提供できます。これまで生態学側が農学に大きな影響を与えたものとして特筆すべきなのは、群落光合成研究だろうと思います。この研究により群落光合成がどのようなしくみで決まっているのかが明らかになりました。例えば、植物群落全体の生産は葉の光合成能力だけではなく、葉の空間配置など他の要因によっても左右されることが示されています。

・地球環境問題

 生態系、あるいは物質循環を地球レベルで解析しようというこころみは古くからあります。1970年代には生物圏国際共同研究計画(IBP)が発足し、全地球レベルでの植物群集の生産力を測定しました。近年は大気CO2濃度上昇を始めとする地球環境変化が問題となり、1990年に地球圏-生物圏国際共同研究計画(IGBP)が発足しました。IGBPの目的は物質循環を文字通り地球レベルで理解することです。最も重要な元素である炭素の循環には植物の光合成が大きな影響を及ぼします。様々な群落において植物がどれだけCO2を吸収できるのか、また、将来CO2濃度が上昇した環境に植物がどのように応答し、CO2吸収能力がどのように変化するのか、このような疑問に植物生理生態学の解析手法が使われています。

・進化生態学

 進化生態学は、生物やその性質がどのように進化してきたのかを研究する学問です。生物学には二種類の「なぜ」があるといいます。一つは「How question」で、ある生物学的現象がどのようなメカニズムによって成り立っているのかが課題です。もう一つは「Why question」で、その生物学的現象にはどのような意義があるのか、言い換えれば、その現象が持つ適応的意義が何なのか、が課題です。例えば、「なぜ渡り鳥が南へ飛んでいくのか」という問いに、鳥の体内のホルモンバランスの変化から説明しようとすれば「How question」で、南へ行くことによって鳥がどのようなメリットを得ているのかを論じれば「Why question」です(Pianka 1983)。植物生理生態学では、その性格上「How question」的な研究が多いのですが、近年は「Why question」的な視点が多くなってきたと思います。ある性質について「どのような意義があるのか」と問うた場合、答えるためには、その性質によって得られる利益と必要なコストの定量化が不可欠です。利益とコストの定量化は生理生態学が得意とするところで、多くの性質の適応的意義を明らかにしてきました。私自身、進化生態学的な観点は研究上重要な位置を占めています。植物のある環境応答にどのような意義があるのかを判断するために、モデルを使って最適な応答を予測し、予測と実際の応答を比較するという仕事を何度かしてきました(Hikosaka and Terashima 1995, 1996, Hikosaka 1997, Hikosaka et al. 1999)。現在の植物生理生態学は「How」と「Why」を抱き合わせで研究することが可能なところが面白いところだと私は考えています。


植物生理生態学のこれから

 

「植物生理生態学の視点」で述べたように、植物生理生態学は様々な視点から様々な現象を解析しています。一口に「植物生理生態学の現在」を簡単にまとめることは無理だと思います。しかし、植物生理生態学で行われているそれぞれの研究は、「その研究にはどういう意味があるのか」ということを突き詰めて考えれば、当初の疑問である「植物の分布はどのように決まっているのか」という問題に帰するのでないかと思います。例えば、ある環境と植物のパフォーマンスの関係を調べるということは、究極的には「なぜその環境で生きていくことができるのか」ということを理解するためのものです。この疑問が続く限りは植物生理生態学は終わらない、という気はします。実際、私自身も多くの興味・テーマがあり、そうそう尽きるとは思っていません。

 もちろん、新しい流れもあります。

 生物学という広い視野から見ると、世の中はゲノム解析真っ盛りです。90年前半頃から遺伝子操作が簡単になり、遺伝子改変による機能解析が進みました。特にシグナル伝達など、多くの現象のメカニズムが分子生物学的研究によって明らかになましたが、生理生態学に直接かかわる問題点として明らかになったことは思ったほどは多くなかったなあ、というのが個人的な印象です(「スーパールビスコ」も簡単にはできそうにないし・・・)。現在ではシロイヌナズナをモデル系としていわば「植物とは何か」を問うているところで、「種によってどう生き方がどう違うのか」とかいう生態学的な問題を語るまでにはまだ距離があるのでしょう。しかし遺伝子操作が新たな手法として未開拓の分野を作ったことは確かで、これから期待できるのだと思います。

 分子生物学的手法は遺伝子改変植物を作出することができますが、分子生物学がこれまでの生物学を押し流してしまうわけではありません。その遺伝子の情報が持つ生理学的意義は生理学的手法を用いることで初めて明らかになります。そしてその生態学的・進化学的意義は生態学的・生理生態学的手法を適用することで初めて明らかになります。遺伝子改変植物というのは、とどのつまり新しい種のようなものです。生理生態学的手法は有効であり、ニーズはこれから増えることになるはずです(「それを生理生態学者がうまく活かせるか」は問題かもしれませんが)。

 地球環境問題というのもまた一つの大きな開拓地です。私個人としては「生物がいかにうまく環境に適応してきたか」が中心的な興味ですので、「適応してきた」とは明らかに言えない地球環境変化はあまり面白いテーマではありません。しかし自然科学である生態学や植物生理生態学が社会的な要請を受けることはなかなか光栄なことです。

 生理生態学者の「腕の見せ所」はまだまだたくさんあるはずです、と私は思っていますが、いかがでしょうか。


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