標本の役割

 標本と言うと,夏休みの宿題で一度は作ったことのある方も多いでしょう。その頃は,なぜ標本を作るのか?標本がどんな風に使われるのか?,よく知らないで作った人も多いでしょう。
 標本は,マニアの収集のように,集めることが第一の目的のように言われることがあります。異国の珍奇な生物がこぞって標本として集められ,陳列された時代もありました。,しかし一方で,生物分類学の基本的な研究材料として生物の多様性を理解するうえで生物標本が重要な役割を果たし,今でも重要な役割を担っています。ここでは標本の必要性や,北大学植物園が実際に行っている標本の収集・整理などについて紹介します。

標本とは…?


 標本とは生物学の研究のため,適当な処理をほどこして保存した生物の個体又はその一部を言います。生きたもので調べる方がよいことも多いのですが、必要な生物がいつも手にはいるとは限りません。必要なときはいつでも使えるために腐らないように,そして生きていたときの状態ができるだけよく保存されるように標本にしておくわけです。

 標本の中で最も多く使われるのは分類学のためのものです。それは分類学が多種多様な生物の諸性質の比較に研究の基礎を置いているためです。多くの生物を同時に比較するためには、同じ部位が同じ方法で同じ条件のもとに作られ保存された材料を用いる必要があります。必要な材料を同時に得るのは比較する種類が増えれば増えるほど大変ですから、日頃から必要な生物を発見する度に採集し、一定の方法で標本にしておきます。その標本の形態は例えば動物はアルコール等の液浸標本にしたり、骨格標本、剥製にし、昆虫や貝の殻のように腐りにくいものは整形後ただ乾燥しておきます。植物は平たく圧して乾燥させた押し葉標本にするのが普通ですが、コケ類、地衣類、大型菌類などではそのまま乾燥したり、高等植物の花の部分や菌類など乾燥によって形の変わるのを避けたい場合には液浸標本にします。また、動植物を問わず、微少なものはプレパラート標本にします。

 標本の作り方や保存の方法が一定ならば、外国産の生物など集めることがなかなか難しいものや元の採集地が後の開発などで破壊されて現在では得られなくなってしまったものなども、それを集めた研究者だけでなく他の多くの研究者によって利用されることが可能です。このようにこれまでに作られた標本を安全に保管しいつでも利用できるようにして置くことに大きな意味があるわけです。東北大学理学部生物学教室では植物標本室、動物標本室に多くの標本を収集し保存してきました。津田記念館はそのうちの植物標本の収納と管理を引き継いで行なっています。


標本の収集

  津田記念館では もちろんこれまでに作られた標本ばかりでなく新しいものも積極的に集め、研究に用いています。生物学教室で研究の行なわれている植物群の標本はもちろんのこと、その他の植物群についても世界中から標本を集めています。生物学教室では1980年以来、大規模なものから1人だけの短期間の調査まで10数回の海外調査が行なわれています。この調査によって収集された標本も記念館の重要な構成員となり、現在それに基づいて研究が活発に行なわれています。

しかし少数の研究者の集められる標本には限度があります。幸いにも多くの方々から沢山の標本が標本室に寄せられています。その総数は記念館開設以降に限っても実に2万点を越え、その整理に悲鳴をあげるほどですが、そのうちのかなりの数の標本はすでに整理され利用されています。また内外の標本室とも積極的に標本の交換を行なっています。これは私たちの調査の手のなかなかおよばない地域の植物の収集に特に効果的です。現在20以上の標本室と交換を行なっており、毎年2500〜6000点の標本を受け入れています。


     津田記念館に収蔵される材鑑標本



津田記念館に収蔵される証拠標本


津田記念館に収蔵されるタイプ標本
(台紙に朱色でTYPEの文字が刻印されています.)

標本の利用の証拠標本


 標本室に集められた標本は研究の目的に応じて適宜利用されます。多くの場合、標本は材料であって、必要があれば一部を切り出して解剖したり、電子顕微鏡やエックス線などで更に細部にわたって調べたりします。但し、標本室の標本に残せる性質はどうしても形態的なものが主になり、ここで行える研究は比較形態学的なものが主体となります。

 現在、植物分類学では染色体数、核型等の細胞学的方法、交配などによる遺伝的な隔離を調べる遺伝学的方法、化学成分を比較する化学的方法、DNA等の遺伝子の構造比較による分子遺伝学的方法など様々な方法が取り入れられていますが、今のところ乾燥標本をこれらの研究の材料とすることはできず*、標本室だけでは研究が完結しなくなってきました。しかし、一方で、これらの方法が複雑多岐にわたればわたるほど、対象とする、つまり材料とする生物の個体なり個体群が何なのか、どういうものなのかを一貫した方法で示すことが必要になってきます。そこで何に対して研究が行なわれたかをを示す証拠として標本を用いるわけです。例えば染色体やDNAを調べた個体を標本として残すことは常識になっていて、この標本のことを証拠標本 (Voucher specimen)と呼びます。研究の結果、論文が発表されると、証拠標本はもちろんのこと、使われた標本は関係研究機関の標本室に保存されることになります。後日その研究について何か疑問が生じたとき、標本から調べ直すことが可能にと考えてのことです。

*DNAは安定な物質なので、保存状態によっては相当古い乾燥標本の中にも残っています。近年の実験技術の発達により、乾燥標本の中に残っているDNAを抽出・増幅して調べることができるようになったので、標本の研究材料としての利用価値は、これまで以上に高く評価されるようになりました。さらに付け加えますと、化石の中からもDNAは抽出・増幅できます(小説や映画で有名ですね)。こちらも化石が低温・乾燥・低酸素環境に埋まっていた場合に、可能性が膨らみます。しかし現実には、まだまだ難しい技術的問題があることも確かです。



タイプ標本

 研究を進めるうち、未知の種類であることが分かれば、それに学名をつけ、特徴を書いた記載文とともに発表します。その際、命名の基として一点の標本を選んで同時に引用します。これがタイプ標本(基準標本 Type specimen)、厳密にはホロタイプ(正基準標本 Holotype)です。タイプ標本はその名の付けられた種類について疑問が生じた場合、調べ直すことができるよう安全に保管し、必要に応じて利用できるようにしておかねばなりません。現在、本標本室には500点におよぶタイプ標本が収蔵されており、その保存と整理は本標本室の最も重要な任務の一つとなっています。


   
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